[PR]血液型から心理テスト:《無料占い》恋も仕事も相性診断

tatuokajyou

竜岡城(長野県臼田町)



田口小学校門(竜岡城)


竜岡城五稜郭案内板


竜岡城五稜郭略図


田口小学校


台所櫓


台所櫓前


水堀(水濠)

 

信州にも在った五稜郭

 何故、信州の山奥に西洋風の五稜郭が、誰の手で、何の為に造られたのだろう。函館の場合は、北海道の守りとして造られたのだが、幕末の動乱時の謎である。
 小諸から20キロほど南の千曲川の上流、佐久盆地の中にある田野口、この地に、松平(大給「おぎゆう」)恆「わたる」(乗謨「のりたか」)が移封された。これまでは、屋敷は江戸にあり、領地には代官を置いていたが、幕府の参覲交代制度が改革され、乗謨は一族と家臣を収容する城郭が必要になった。
 そこで、フランスのボーバン(天才築城家)の戦闘城塞を模擬した城を造ろうと考えた。乗謨は徳川譜代であるところから28歳で老中格、幕府陸軍総裁の職にあった。蘭学、仏学を学び、フランス語も流暢に話せたという。したがてボーバンの築城書を読み、優れた築城術を自分の城に採り入れたいと思い、昔の田口城の南に五稜の星形の城を築いた。
 総面積6万平方メートル、星形の径約 200メートル、星形の外側には平均 3.4メートルの石塁を築き、その上に 1.2メートルの土塁が築かれている。堀の幅約8メートル、深さ約4メートルとなっている。
 石垣には切石を使用し、亀甲積みである。上部にはハネ出だしを付け、敵が石垣を登るのを防いだ。城内には、表御殿、広門、小書院、台所を設置、空き地は練兵場としたが、建物は日本建築だった。
 城の工事は元治元年(1864)に始められ、慶応元年(1867)に完成し、竜岡城と命名されたが、明治維新を迎えて廃城になった。
 竜岡城は北海道の五稜郭に比べれば約4分の1であり、実戦にはといえば、銃撃戦はなんとか防御できそうだが、強力な火砲や大軍にかこまれたら防御はできない。
 乗謨にしてみれば、ボーバンの築城術を実現してみたかったということであり、実戦的要素には欠けるが、無駄ということではない。明治維新当時の外国からの文化、技術導入は最初はこのようなものだったのかもしれない。

日本の城の秘密より
99.1.18

竜岡城へリンク

ホーム


[PR]看護師の求人情報/リクルート:首都圏・関西の高給与求人/登録無料!